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スガ試験機株式会社
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スガ物語「Only SUGA - 自灯明の精神」

STORY

Only SUGA - 自灯明の精神

「自灯明」は須賀長市が大切にしていたお釈迦様の言葉。「人生の灯は自分でともすものであり、明るさの強さは自分の努力次第である」と捉え、当時の日本になかったウェザリングの試験機を自らの灯で開拓していきました。

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須賀長市の著書 昭和49年(1974年)発行

すべての物は自然の下で
老劣化する運命にある

その物質の本質的な老劣化への探求は、自然科学の通ずる道であろうと思う。
自分の作った物が、いかなる保証をするかは、私達の義務ではあるまいか。
(『耐候光と色彩 改訂版』 須賀長市著より)

ウェザリング技術を日本に普及させる

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国産第1号のフェードメーターの扉
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(左写真) 国産第1号のウェザーメーター 昭和27年(1952年)
(右写真) 国産第1号のフェードメーター 昭和29年(1954年)

戦後(昭和20年代後半)耐候試験機が欧米からの輸入品しかなかった時代、耐候試験の重要性を欧米から学んだ須賀長市と須賀蓊は昭和27年(1952年)に遂に日本初のウェザーメーターを完成させました。

放電の研究から始める

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発光するサンシャインカーボンアーク

私達は放電させるための回路において、トランスを中心に次の四つのことを満足させようと試みていた。第一に放電によるアッシュ(灰)を少なくすること。
第二に電流・電圧が安定していること。第三に分光エネルギーが一定のこと。第四に寿命が24時間保つことである。(中略)
私達は気象研究所の関原彊博士には紫外線測定法を、東大物理学教室の日置隆一博士には光に関する基礎的研究を、東芝中研所長原田常雄博士、東堯博士には電気回路における放電のエネルギー測定について教えを受け、このことにより私達がどれだけ後年社会に貢献することができたか測り知れないものがある。
(『続・自灯明』ウェザーメーター物語 須賀長市著より)

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(左写真) 紫外線フェードメーターの試験槽内部
(右写真) サンシャインウェザーメーターの試験槽内部

ウェザーメーターをつくるにあたり、須賀長市と須賀蓊は国内外の光源の文献・資料を取り寄せ、斯界の権威の支援を求め、放電の研究から始めたのでした。

腐食試験を日本に普及させる

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壁当て式塩水噴霧試験機の実験
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塩水噴霧試験機 昭和31年(1956年)

最初の塩水噴霧試験機は、座間の米軍に納めたものでした。板ガラスで試験槽を作り、内部に琺瑯のバットを入れ塩水を温め、ノズルから噴霧する壁当て方式でした。

米国規格ASTMに学ぶ

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プロファイルプロジェクターに投影されたミストマイザの像

ロビンソン氏がGHQ勤務であったこと。そして、彼らが物資の契約検査の総括責任者であったことがどんなにか日本に幸いしたことか。貧しい、いくら働いても恵まれない日本人の境遇にあるいは同情したのかも知れない。彼は技術部の総力をあげて私達に援助を与えてくれたのであった。(中略)
なぜ塩水濃度を20%から5%にしたのか、その試験結果はどう変わるのか、彼は秘書をして、間髪入れずに回答のデータを提出させたのであった。また私達の知りたい0.02インチと0.05インチの穴から噴出する粒度をどう測定するのか、この穴の径の誤差が試験結果にどう影響するのか、私達はただ彼の答えを待って驚くばかりであった。当時この試験法は日本には勿論ない。しかし米国では20年前から規格化され使用されていたのであった。(『続・自灯明』ウェザーメーター物語 須賀長市著より)

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(左写真) 塩水噴霧試験の噴霧粒子 (約150倍) 昭和35年(1960年)
(右写真) プロファイルプロジェクター本体

塩水噴霧試験の精度を決める均質な塩水噴霧粒子を生み出すためには、塩水と圧縮空気のノズル口が直角にその中心で交わっている必要があります。この形はガラス職人の技で作り出したのでした。

色彩管理を日本に普及させる

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テレビ局の調整室での測色テスト 昭和36年(1961年)
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カラーメーター 昭和32年(1957年)

昭和35年(1960年)にテレビのカラー放送が日本で開始されました。昭和36年(1961年)に当社のカラーテレビ用自動測色計を用いた測色テストがテレビ局の調整室で行われました。複雑な計算が必要だった色の測定をボタン1つで可能にしたことで、色彩管理の普及に貢献しました。

色の標準を求めて海外へ渡る

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米国標準局(NBS)の白色標準板他、英国(NPL)、独国(PTB)の白色標準板
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NBS反射色標準板
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NBSチェッキングパフォーマンスガラス(分光光度計校正用)
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NBS訪問 昭和41年(1966年)

色を測る時、その数値は何を標準とすべきか。日本に色の標準が存在していなかった時代、それは大きな命題でした。世界に通用するカラーメーターを作るために、海外に色の標準を求めました。

新宿で広げたものづくり

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昭和55年(1980年)埼玉県日高町(当時)に工場を建設するまでは新宿がものづくりの拠点でした。
耐候試験機・腐食試験機・測色計を中心に、それまで日本になかった試験機・測定器の開発を行い、製造販売してきました。

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